ブルーロックから学ぶ人生哲学の1つが「絶望する才能」です。
絵心甚八によって語られた、絶望する才能とは一体なんでしょうか?
本記事では、ブルーロック絵心甚八の名言・絶望する才能を徹底解説します。
その上で、絶望する才能を語るきっかけとなった馬狼の敗北についても解説します。
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この記事で分かること
- ブルーロック「絶望する才能」の要約
- ブルーロック「絶望する才能」を語る絵心のシーン解説
- 「絶望する才能」を語るきっかけとなった馬狼のエピソード
ブルーロック絵心甚八名言:「絶望する才能」の要約

まず最初に、ブルーロック絵心甚八の名言「絶望する才能」を簡単に要約します。
ここで言いたいことは、こう。
己の非力さを認めること(=絶望すること)は才能である。
エッセンスは究極そこです。
凡人は敗北を受け入れずに「正当化する」
多くの人は、壁にぶつかった時に「正当化」をします。
なぜなら、敗北を受け入れることは"自己否定"になるからです。
自分が非力であるという事実を受け入れるのが辛い。
だから、出来ない理由をそれらしく作り上げ、目の前の現象を正当化してしまうのです。
夢を叶える者は絶望から逃げない
凡人は、敗北から学ばず、正当化して終わります。
しかし、それだと次に繋がらない...
敗北から何も学んでおらず、成長や改善が見られないからです。
ただ、夢を叶える者や目的を遂げる者は、決して絶望から逃げません。
目の前の現実をまず受け止めることが、成功への第一歩だからです。
絶望する力こそ才能
こう考えると、絶望できるかどうかは1つの才能です。
凡人は絶望から逃げ、改善や成長が見られない。
いつの間にか夢を諦め、出来ない自分を正当化してしまう。
その一方、絶望できる人は改善や成長のチャンスを手にすることになる。
絶望という恐怖から逃げない者に、夢を叶える力が宿る。
これが、絶望する才能で最も伝えたいことです。
ブルーロック本編:絵心甚八が語った「絶望する才能」の全て

ここからは、ブルーロック8巻で絵心の口から語られた「絶望する才能」について詳細解説します。
絵心のセリフ1つ1つに込められたメッセージを深掘りしていきます。
ポイントは以下の通りです。
それぞれ解説します。
敗北=勝負の世界に必ず発生するただの現象

"絶望する才能"を語る上で、大前提にあるのが「敗北」です。
絵心は、そんな敗北に関して以下のように定義します。
敗北ってのは、勝負の世界に必ず発生するただの現象だ
敗北=必然の現象
ここまで敗北を無機質なものと捉えることができる人がどれだけいるでしょうか?
しかし、実際はそんなものです。
なぜなら、世界一のプレイヤーでも全戦全勝はないから。
必ずどっかで負ける瞬間はやってくる。
特に上を目指して挑戦し続ける限り、敗北を避けるということは不可能です。
敗北とは絶望に等しい
そして絵心は、敗北から何を学ぶかが大事だと語ります。
ここまでは部活などでもよく言われることですが、面白いのはその次。
絵心は、敗北についてさらに深く定義します。
敗北した者はその戦場から否定される
戦う者にとってそれ以上の"絶望"はない
つまり、「敗北=絶望」というのが絵心の見解。
まとめると
・勝負の世界では必ず敗北する瞬間がある=必ず絶望する
ということでしょう。
何かに挑戦する人は、これを事前に知っておけると楽になりますね。
凡人は絶望を正しく刻むことが出来ない
ここから絵心は、凡人と夢を叶えるものの差を語ります。
まず絵心は、凡人の絶望の受け止め方をこう表現します。
多くの凡人共は、この"絶望"を正しく刻まない
ここ重要
絵心が考える凡人は、才能がない人間というわけではないのです。
必ず訪れる絶望の場面において、絶望の味を正しく刻めない人間が凡人だと言います。
なぜなら、絶望を正しく刻めない人間は、敗北から学べないからです。
絶望を正しく刻まない凡人の心理
では、絶望を正しく刻めない凡人の心理はどうなっているか?
絵心は、多くの凡人の思考パターンについても説明します。
多くの凡人が絶望を正しく刻めない理由はこうです。
自分に才能がなく、非力だったと否定され、間違いを認めるのが怖いから
グサリと刺さりますよね。
ほとんどの人は、飛び抜けた才能などありません。
でも、何かに挑戦しようとする。
しかし、結果は残酷で「敗北」で終わることも多いです。
そんな時、出来ない理由を「自分の能力不足」と捉えるのが辛いのです。
それは、自分自身を真っ向から否定することだからです。
多くの凡人は「夢の隠蔽工作(ドーピング)」をする

絶望を正しく刻まない人間。
その先に待っているものはなんでしょうか?
それは、「夢の隠蔽工作(ドーピング)」です。
絶望を認めない凡人は、無意識に言い逃れをします。
出来ない理由を、それらしく取り繕うのです。
また、今までの努力を否定しないために、こう考えるようになる。
"諦めない"ことが正解だ!
これは、ほぼ全ての人が経験したことがあるのではないでしょうか?
最初は、何かしら叶えたい目標があり、目標達成のために努力をしていた。
しかし、その努力では目標が達成されず、敗北を味わう...
そんな時、
「頑張ることに意味がある!」「努力は大事」「結果よりもプロセス」
と、自分の行動を正当化してしまう現象です。
絵心はこの現象を、「夢の隠蔽工作(ドーピング)」と呼びます。
本来叶えるためにあった夢が、追うことが目的にすり替わるからです。
夢を叶えられるかどうかは「絶望する才能」で決まる
では、叶えるためにあったはずの夢を、追うことにすり替えない人間はどんな人か?
それは、「絶望する才能」を持っている人です。
敗北とはまさに夢の岐路です。
必要なことは、敗北の瞬間に己の非力さを素直に受け止められるか。
つまり、正しく絶望することができるかどうかで決まるというわけです。
ここで正当化が始まると、夢を叶える方向にエネルギーが向かない。
結果的に、夢を叶えることが出来ないのです。
"諦めること"でしか見えない成功の道筋がある
絶望する才能には、重要なエッセンスがあります。
それは、「諦めることも肝心」ということです。
人は夢を描く時、基本的には1本の筋を描きます。
しかし、敗北するとそのルートが絶たれます...
ただ、それは自分が最初に描いたルートがミスだったということ。
この時重要なのは、最初に描いたルートを諦めて別のルートを探すことです。
これは、これまで描いた夢の道筋を、諦めることでしか見えてこない道筋です。
しかし、そこで出来る新しい道筋が、己の新しい可能性につながります。
だから最後、絵心はこう言うのです。
"絶望"しても尚戦わんとする人間に、"夢を叶える"能力は宿る
人生、プランAで成功することって、ほとんどありません。
プランAでダメなら、プランB,C.D...と次のことを考える。
新しいことを試そうとするその瞬間にしか、成功の可能性って生まれないってことです。
ブルーロック「絶望する才能」:馬狼のエピソード

ブルーロック本編では、絵心の口から「絶望する才能」について語られます。
ただ、これにはきっかけとなるエピソードがあります。
それが、馬狼照英の敗北です。
ここからは、絶望する才能を持っていた馬狼のエピソードを解説します。
それぞれ解説します。
潔と凪の脇役になり下がる馬狼
ブルーロック2次選考で、潔たちチームホワイトは、千切&國神&玲王と戦います。
その際、馬狼は潔と凪を無視した俺様プレイを連発...
それを見た潔は、馬狼との化学反応を諦めます。
そして、馬狼を出し抜き、凪と2人で攻めることを決意。
俺たちの邪魔すんなっつてんだよ、ヘタクソ
こう言って、馬狼を主役の座から引きずり下ろします。
馬狼は、サッカー人生で初めて脇役扱いされるのです。
潔に屈辱的なパスを出してしまう馬狼
馬狼の屈辱は、まだまだ続きます。
いつもは、自分にパスを集めてシュートしてきた馬狼。
しかしこの試合、馬狼は潔にパスするしかないぐらい攻略されていました。
そのため、馬狼はシュートを諦め、潔にパスを出します。
そして、潔はシュートを決め切り、馬狼の脇役が完璧に決定してしまいます。
馬狼にとって、これほどの屈辱はありません。
これが馬狼にとっての、人生はじめての"敗北"です。
俺は王様じゃなかったんだ...
敗北と同時に、大きな絶望が馬狼を襲います。
夢を諦めて人に託すことで自分を救う道

これまで俺様サッカーで、常に主役として輝いてきた馬狼。
馬狼にとって、それがサッカーであり、それが夢でした。
しかし、ブルーロックに来て、実力が及んでいないことを痛感します。
潔と凪の前では、自分は非力な存在だった...
だから、自分が主役のサッカーを辞め、脇役としてアシストするしかない。
自分と同じように脇役としてのサッカーを選んだ人の気持ちが分かりはじめます。
その上で、自分も脇役としてのサッカーを受け入れようと思います。
しかし馬狼は、そんな自分がどうしても許せないのです。
夢を諦め人に託すことで自分を救うことは、プライドが許さなかったのです。
主役が無理でも脇役は却下!新しい道は「悪役」
潔と凪の前では主役になれなかった馬狼。
しかしかと言って、脇役に成り下がるのはどうしても嫌な馬狼。
そこで馬狼は、新しく自分が輝ける別の道を探します。
主役はあくまで自分が輝くための1つの手段。
輝くことが目的であれば、主役でなくてもいい。
脇役でなければ。
だから馬狼は、主役ではなく悪役として輝くことを決めたのです。
そうすることで、自分主体のサッカーという夢を諦めずに済む。
馬狼はここで覚醒することに成功します。
馬狼は潔を喰うという別の道(=悪役)で、シュートを決めたのです。
馬狼は絶望を正しく受け入れることができた
絵心は「絶望を受け入れる才能」の重要性を主張します。
その意味では、馬狼はここで正しく絶望したと言えます。
己が非力で、主役になることが出来ないということを受け入れた。
決して言い訳せず、正当化せず受け入れた。
その瞬間、主役とは違った「悪役」というルートに気付くことが出来た。
正しく絶望を刻んだから、己の新たな可能性を見つけられたのです。
総括:ブルーロック名言「絶望する才能」まとめ
最後に、本記事のまとめを残しておきます。
この記事のまとめ
絶望する才能の重要性: 絶望する才能とは、自己の非力さを認め、敗北から学ぶ能力。
敗北の普遍性: 敗北は勝負の世界で避けられない現象であり、絶望に等しい。
凡人の対応: 多くの凡人は敗北を受け入れず、自己正当化をしてしまう。
夢の隠蔽工作: 絶望を認めない凡人は、失敗を他の要因のせいにして夢の追求をやめてしまう。
馬狼のエピソード: 馬狼は自己の非力さを受け入れ、主役から脇役、そして悪役へと役割を変えていく過程。
新たな道の発見: 絶望を受け入れた結果、馬狼は新たな可能性として悪役を選択し、自己の新しい道を見つける。
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